【好きなもの100】つばた夫妻の著書

 

 

尊敬しているつばた夫妻の新刊が出ていることを知らず、あわてて即買いしました。

数年前に「あしたも、こはるびより。」を読んでコロッと心酔し、私のなかでつばた夫妻の著書は、「この生活を実現しよう」という指針になっています。

 

 

(ちなみに、同居人もえらい影響をうけていて、つばた夫妻みたいに自分の食べるものを自分たちで作る生活がしたくて、高知移住を決めたみたいなところもあります)

 

 

「定年退職したら、田舎暮らし」なんて待ってられない

 

津端修一さんは建築家で、退職して家を建てられて、畑仕事をはじめられたとのことですが、
私は正直なことを言うと、定年退職してからではなくて、今すぐにでもつばた夫妻のような生活をはじめてみたい。

キッチンガーデンをつくって、そこでその日食べるものを収穫して、梅干しを漬けて、自作ベーコンをつくりたい!笑

今のところお金も持ち家も畑もないけど、私も自分で育てた野菜を料理して食べて、家の仕事をして、好きな人とだけかかわって、という生活がしたい。

 

そんな生活は、やはり、先立つものがないと不可能なのでしょうか。
まとまったお金がないと家が買えないし、家が買えないのなら「家賃」を払わなければいけないし、そうなると「自給自足だけしていればいい」というわけにはいかないんですよね。

余談ですが「ジヌよさらば~かむろば村へ~」という映画で、27歳の若者(松田龍平さん)が100万で空き家を買って田舎に引っ越して、田んぼを耕して村の人の仕事を手伝って野菜を貰って、「お金を一切使わない生活」をしていて、「これだー!」と思ったのですが笑、

現実的に、私はまだそこに飛び込めない。
くやしいですが、勇気が足りないです。

 

 

つばた夫妻の新刊の「ふたりからひとり」は、なんだかもう、共感しすぎていちいち涙が出るので、少しずつ大事に読んでいます。

”「お金をいくら溜めても豊かじゃない」”
”「買うものは、次の世代へ伝えられるものを」”

お二人の言葉がなんでこんなにも刺さるのか、自分でも不思議なくらいです……。

 

 

「ときをためる暮らし」

 

最近、祖母からまな板をもらって使いはじめて、色々と考えるところがありました。

 

台所のDIY、じわじわ進行中

 

自分にとってどんなに大事なものでも、ただ自分が持って使っているだけでは、自分が死んでいなくなった瞬間にゴミになる可能性もある。

「もの」は、次の世代に受け継がれるものでなければいけない、そのようにできるものでないなら、買うべきではない。

 

今、私が持っている服、家具、道具、食器、本、ガジェットなどなど家の中にあるものを、たとえば子どもが生まれたとして、「ずっと受け継いでいってほしい」と思えるだろうか。

すべてがそうであるとは言い難いけど、中には「自分がいなくなった時、自分以外の誰かが大事に使ってくれたら、そんなにうれしいことはないなぁ」と思えるものもあります。

 

ここでの「もの」は、祖母から受け継いだまな板のようなものに限らず、家や畑、家具、道具をはじめとして、「考え方」のような形に残らないものも含まれるような気がします。

私は10~20代の頃は生き方がへたくそすぎて、息苦しい思いもしたりしたけど、「ダウンサイジング」に出会ってからはずいぶん気持ちが楽になりました。

そういった自分の発見や考えを、同じような息苦しさを感じる人に共感してもらえたら嬉しい。

そのために、ブログという目に見えるかたちで、細々と発信しているのかもしれません。

 

自分がいなくなっても他の誰かに使ってもらえたり、大事にしてもらえる可能性のあるもの。

そういうものがほんとうに大切なものだと言えるのかも、と、「大事にしたいもの」のひとつの指針のようなものができたような気がします。

 

そして受け継ぐ相手は、当たり前ですが、血縁者でなければいけないとは限らない。

例えばつばた夫妻の本を読んで、共感して、その生き方を習いたいと思うことも、「受け継ぐ」ということです。

自分のポリシーや生活術のようなものや感情を、表現してさえいれば、遠く離れた、世代も違えば顔も知らない「誰か」に受け取ってもらえることもあるかもしれない。

そういう生き方ができれば、たとえ生涯天涯孤独であっても、「だいじょうぶ」なんじゃないかなぁなんて思うのです。

 

自分が本当にいいと思うものは、ひとり占めしていてはだめなんだなぁ。
勉強になります。

 

 

つばた夫妻の著書、最終章「きのう、きょう、あした。」

 

 

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