「丁寧な暮らし」をしない

 

つい最近まで、私には「丁寧な暮らしを送らなければいけない」という意識がありました。

ここでの「丁寧な暮らし」の定義とは以下のようなことです。

  • ごはんはキッチリ3食、自炊する
  • ファーストフードを食べない
  • 家は毎日掃除をする
  • 早寝早起き、朝活をとりいれる
  • 休みの日でもきちんとした格好をする
  • 毎日ちゃんとお化粧・スキンケアをする

などなど、雑誌や「丁寧な暮らしをしている人」の本・ブログなどを参考にした、漠然とした「丁寧な暮らし」像がありました。
で、それを目指して頑張っていたわけなのですが、ずっと「なんとなくやりにくいなー」と思いながら生活していました。

 

このブログの過去記事を見て頂ければ一目瞭然なのですが、結論私に「丁寧な暮らし」を送ることは不可能でした。

  • 食事は1日1.5~2食
  • 掃除は汚れが目に付いたらその時々に
  • 化粧はほとんどしない、化粧水もつけない
  • ファーストフードガンガン食べる
  • 休みの日はゆるっとした格好
  • 寝たい時は寝たいだけ寝る

…という、グータラきわまりない生活をおくっています。

 

どうして「丁寧な暮らし」を諦めたかというと、私には「丁寧な暮らし」は、窮屈で息苦しいものでしかないと気付いたためです。

ごはんは1日3食食べなければいけない、野菜を食べなければいけない、お化粧もサボってはいけない、と、「○○しなければいけない」が増えれば増えるほど、制限が増えて生活の自由はなくなっていきます。

 

また、私は一人暮らしをしているわけではないので、「同居人の分も毎日ごはんを作らなければいけない」「掃除しなければいけない」と思い詰めていると、「なんで自分ばかりこんなに家のことをがんばらなければいけないのだろう」という気になってしまいます。

相手に要求されたわけでもないのに、妙な義務感に駆られてしまうのですね。
特に私は洗濯や掃除は好きなのですが、食べることに興味が薄く、料理が苦手でした。

 

私には、苦手なことをがんばってでも相手に尽くすというのが立派なことだとは、どうしても思えません。
苦手なことは苦手でいい、適当でもいい、得意な人に任せればいい、お互いが苦手なら協力してやるか、相手にも妥協してもらえばいい。という考えです。

今は平日はほんとーにテキトーーな料理しか作っていません。休日はよく同居人がごはんを作ってくれて、食べさせてくれます。
もしかしたらなにかしら不満があるのかもしれませんが直接言葉にされたわけではないし、嫌なら自分で作ればいいんだし、と思っています。
今のところ家事をするかわりになにか報酬を得ているわけでもないので、それでいいんだと思います。

そのかわりに得意な洗濯や掃除は(一応)がんばっているつもりです。
「○○しなければいけない」を手離していき、「○○しなくてもいい」「○○したければ、すればいい」を増やしていくと、びっくりするくらい生活が楽になります。

もちろん代償は色々とあるのでしょうが、毎日とめどなく繰り返される「○○しなければいけない」ストレスに追いかけ回されるよりはずっと快適です。
なにせ、毎日毎日自分のやりたいことしかやってないわけなので。

 

こういうことをいうと、「やりたくないことをやるのが大人(社会人)だろ」とか「甘いことを言うな」と口を挟んでくる人がいるものです。
と、言いたいところですが、実際には私の周りには(同居人をはじめとして)そのような人はいません。

自分がそういう人間関係を選択してきたからというのもあるのですが、みんな他人がどういう生活を送っているかなんて興味ないんですよね。

仮になにか言われたとしても、「○○しなければいけない」にこだわってストレスを溜めて、ゆううつな毎日を送るのは、忠告してきたその人ではなく、自分です。
「誰を喜ばせるためにそうしているのか?」の「誰」は、無責任な批判をしてくる人ではなくて、自分や自分の大事な人ですよね。

他人の忠告を聞き入れるのも大事なことだと思いますが、結局それで振り回されて疲れるのは自分なので、話半分ぐらいに聞いておけばいいんじゃないかなと思います。

 

 

長くなりましたが、私が「丁寧な暮らし」を諦めた理由はこのようなところです。

「丁寧な暮らし強迫観念」にとらわれている人がいたら、こんなテキトーなやつでも毎日楽しく暮らせているよというサンプル程度に考えて頂ければ幸いです。

低スペ人間なりに、自分の好きなことしかしない生活、楽んでいます。

 

 

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