「衣・食・住」に対するどれかひとつでも諦められたら、生活が楽しくなる

 

「諦める」という言葉は後ろ向きに聞こえるかもしれませんが、決してネガティブなものではないと思っています。

諦めるとは、ギブアップすることでも捨て去ることでもなく、どちらかと言えば「取捨選択」とか「バランスの調整」「自分に最適化する」という意味合いが近いです。

 

 

衣を諦める

 

現代の人は、被服費や化粧品代・時計などの装飾品代に多額の資金を投入しています。

特に、ブランドものが好きな人はそれはもうびっくりするくらいの金額を服や鞄に投じていたりしますよね。

働くため(社会的信用を得るため)に服を買っているのか、服を買うために働いているのかわからないような状態になっている人もいると思います。

 

それが趣味で、かわいい格好やかっこいい時計をするのが幸せで、喜びなのだという人はそれでいいと思います。

でも、「流行おくれの格好をしていたら、他人に笑われそうだから」とか「他人にみすぼらしい格好を見せたくないから」という理由で、着ない服や使わない化粧品に月々何万円もの金額を投じるのは、とても「楽しいこと」のようには思えません。

むしろ、他人の目を気にして「これであってるんだろうか、間違ってないだろうか、おかしいと思われないだろうか」と思いながら服を選ぶのって、相当つらいんじゃないかなと思います。

流行や他人の評価なんてあっという間に移ろいでいくものですから、常に社会の動向を気にかけていなければいけないし、ましてや万人に認められようと思うと、それはもう更に収拾がつかなくなります。

 

私は、服は「自分の気に入っているデザインで、見ていられないくらいほつれていたり破れていたり汚れていたりしていなくて、そこまで流行に左右されない扱いやすいものであれば充分」ぐらいの指針で選んだ方が、気楽で楽しいと思っています。

他人はそこまで他人の日々のファッションを気にしたりしないですし、仮に他人の格好についてとやかく言う人がいたとしても、「この人よっぽど暇なんだなぁ」ぐらいで流しておけばいいように思います。

「衣を諦めること」は、服を着ないとか買わないとかの話ではなくて笑、「他人の意見やその時々の流行基準の評価対象から降りる」ということです。

 

今の世の中服や装飾品は過剰なほどに溢れかえっていますが、他人の目を気にせずに本当に自分が着たい服だけ選んで着ていれば、世の中に本当に欲しい服ってほんの少ししかないんだな~と感じるようになります。

そのほんの少しのものを、宝探しでもする感覚で選んで要所要所にお金を使っていれば、そんなにたくさんの被服費をかける必要はないことにも気づけます。

なによりそっちの方が、よほど「自分のファッションを楽しんでいる」と断言できると思います。

 

 

食を諦める

 

食べなければ人間生きていけません。月々の家計簿の中では食費が大部分を占めているという人も多いと思います。

世の中にはブレサリアンとか不食の人もいますが、普通の人間にはその領域に達することはほぼ不可能です。

 

でも、自分の食生活に立ち返って、「自分は本当に過不足なく、必要なエネルギーや栄養素を摂取して、毎日の食生活は常に最適化されている!」と自信をもって言える人って、日本人の中にどれだけいるでしょうか。

朝・昼・晩と食事のタイミングが習慣化されていて、平日も休みの日も、20歳代でも40歳代でも60歳代でも、仕事をしていてもしていなくても変化のない食生活が、本当に「今の自分に最適化されている」と言えるかと思うと、それは疑問です。

成人が一日に必要とするエネルギーは、男性が何カロリー・女性が何カロリーと言われたりしますが、「平日は事務職でほぼ丸一日座りっぱなし、趣味は読書」という人と、「ランニングが趣味で毎日10km走る人」とでは、必要なエネルギーは違って当然です。

同じ人間でも、平日のデスクワークと休日のウィンドウショッピングとではその時々の運動量によって「食べなければいけない量」は変わってくるはずで、「一日に必要な平均カロリー」はただの指針にすぎません。

 

要するに言いたいことは「現代日本人はごはんを食べすぎなのではないか??」ということです。

自分の生活に本当に必要なエネルギーはどのくらいなのか知ろうともしないで、「ごはんは一日三食と決まっているから」という理由で満腹になるまで好きなメニューを食べ、ついでに間食もするような生活が、はたして「正しい食生活」と言えるのでしょうか。

私は朝食をとらない生活をしていますが、朝食を食べていた頃と比較して、目にみえて体調が悪くなったということはありません。

なんとなく糖質制限のようなことを試みてごはんやパンを食べる量を減らしたりもしていますが、それでおなかが減るタイミングが早まったと思うようなこともありません。

 

もともと食に興味が薄かったこともありますが、無理して人と同じだけの量を食べるのではなく、食欲がなければないなりに少ない食事量で暮らしてみようと実践してみたところ、すごく気分が楽になりました。

今まで「食べたくない時は食べなくてもいい」なんてことを言う人が周りにいなかったので気付かなかっただけで、自分は「そこまでたくさんのごはんを食べなくても大丈夫」なのだと気づきました。

「まだとくにおなかは減っていないけど、12時になったから昼ごはんだ」という生活が「規則ただしい食生活」とされていますが、私はその風潮にはどうしても疑問を感じてしまいます。

 

「1日3食を2食以下に減らす」というのは極端な例だとしても、自分の体調やその日の行動パターンを把握して必要以上のカロリーをとらないように心がけたり、なんとなくの外食を減らしたり、ほんの少しでも菜食にシフトするだけで、食費の節約や将来の健康に良い影響を与えることができます。

今明らかに自分は「食べすぎている」という自覚がある人は、「好きなだけ食べることを(ほんの少しずつでも)諦める」ことで食生活の改善ができるはずです。

 

そうは言っても、食生活の改善って、本当に一朝一夕ではできません。

甘いものが好きな人は「砂糖の量を減らせば健康になれるよ」・お酒が好きな人は「お酒を減らせば健康になるよ」などと言われても、なかなか実践できないということもあると思います。

でも、「そう簡単にはできないよ」と思ってしまうのって、それこそただ「中毒性のあるものに依存している」という状態で、身体的にも精神的にもすごく不健康な状態なんですよね。

いっそ思いきってやめてみることができれば、「なんであんなものがあんなに欲しいと思っていたんだろう」と感じることも多いように思います。甘いものやお酒や煙草などはいい例です。

 

「身体に悪いことはわかっているけど、やめるなんてできそうにない」と思ったらむしろチャンスだと思います。
だって、「頭ではやめなければいけないとわかっている」のだから、あとは依存を断ち切る仕組みさえ作ってしまえばいいのです。

パッと思いつくのは、甘いものをコンビニでよく買うという人はそもそもコンビニに立ち入るのをやめるとか、アルコールやニコチンの中毒の人は病院に通ってみるとかですね。

大事なのは「意志の力」でなんとかしようと思わないことです。人間の意志ほど弱いものはありません。笑

それをやめたい動機をしっかりと確認して、やめるためのシステムを構築することやモチベーションを維持する仕掛けを設定することのほうが重要です。

 

 

住を諦める

 

「広くて新しい家に住みたい」「都心の便利な街に住みたい」「駅の近くに住みたい」「いい車に乗りたい」……。

これらの欲を手放すと、人生はいきなりイージーモードに切り替わります。笑

なぜなら家や車といった資産に傾ける比重を少なくするだけで、驚くほどお金が浮いて節約どころのさわぎではなくなるからです。

 

東京で新築一軒家に住みたいという夢が働くモチベーションになっているというならそれはそれでアリなのかもしれませんが、この現代日本でそんな夢を見られる若者が一体どれだけいるでしょうか……。

「夢のマイホーム」とか「XX年ローン」とか「都心駅近高層マンション」とか「いい車に乗って」とか「条件のいい人と結婚して…」とか、もはや過去の遺物と化して久しい昨今。

でもいまだにそういう価値観に左右されている大人が多くて、「それが人の幸せ!」と声高に主張されるせいで、そういうものに価値観を見いだせない人の肩身がどんどん狭くなるんですよね……。

 

「住を諦める」とは家賃にかけるお金を少なくするということなのですが、最も手っ取り早いのは地方移住だと思います。

地方なら家や駐車場にかかるお金は本当に減ります。私は東京から高知のアパートに引っ越して、家賃が1/3に減りました。

家賃が減ればそれだけ働く時間を減らしたところで、また多少給料が下がったところで、生活のクオリティ自体が大きく下降するということはありません。

むしろ、働く時間が減らせられれば自由に遊べる時間が増えて、ワークライフバランス自体は向上します。

 

地方移住してしまえば、東京の会社に勤めるとほぼもれなくついてまわる「満員電車で通勤」問題も解消されます。

人が少ないので人混みも存在しないし、土日にカフェやショップに入っても空いていて快適だし、自然が多くて空が広いし、サイコー!です。

都会に住みたいか田舎に住みたいかは個人の価値観なので一概には言えませんが、都会に住みながら「家賃が高くて毎日苦しい」と思っている人は、田舎にくればいいのに……と思ってしまいます。

今は田舎でもネットを介せばどんな商品でもサービスでも手に入る時代ですし、仕事は「どうしてもこれがやりたい」という希望がないならいくらでもあります。

「どうしてもやりたい」と思う夢を、手っ取り早く低予算で起業してしまって実現するという手もあります。

 

私の今の夢は古くてボロい家を格安で買って、自分たちの手でちょっとずつ改築しながら暮らすことです。

ひととおりリノベーションできたらその家の一画を使ってカフェや雑貨屋を開店したり、ヒマな人たちで集まってワイワイできるような場所を作りたいな~などと妄想しています。

固定観念化した「都会に住みたい」「いい家に住みたい」というこだわりを捨ててしまえば、生活的にも気持ち的にもそうとう楽になれます。

 

 

今の時代は、そんなにがんばってあれもこれも手に入れなくていい

 

衣・食・住に関して、「そんなにがんばらなくてもいいんじゃないか」「私たちは他人の評価を気にしすぎなのではないだろうか」と思うことが多く、その「見栄」みたいなものから脱却できたら、もっと気楽に生きれるのにと強く感じます。

繰り返すようですが、それがモチベーションになっているならまだしも、前時代的な価値観を引きずって「自分にとってなにが大事か」がわからないまま流されているだけなら、そんなものはさっさと手放してしまえばいいのだと思います。

  • 仕事は正社員で最低でも週5日は働かなければならない
  • 条件のいい異性と結婚しなければならない
  • 子どもを産んで立派に育てなければならない
  • 子どもは親の老後の面倒を見なければならない
  • いざという時のために保険に入らなければならない

みたいなのにも、知らず知らずのうちに首を絞められているような気がしてなりません。

 

なんとなく主流になってるそういう価値観に適応できないことを嘆く必要はなくて、もっと開き直って、「私そういうのもう諦めてるんで!」と言えるようになって、それが不自然にならないのが一番いいのに、なんて思います。

そもそもそういう古い価値観にすべて適応できる人ってもうめちゃくちゃ希少な人種なんじゃと思うんですけど、そんなこともないんですかね~。

少なくとも、私はもうそのあたりから降りて、好き勝手に生きる気まんまんです。笑

自分の価値観を軸に生きていると、その考えを「どうかと思うぜ!」という人は勝手に離れていくし、賛同してくれる人だけが仲良くしてくれるので、かなりストレスフリーな生活を送ることができます。

 

他人の価値観に振り回されることに疲れたら、そういった固定観念から少しずつでも距離を置いてみてもいいのだと思います。

 

 

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