10日間の九州(東部)旅行に出ていました。
前回の記事通り、「私にはひとり旅はあわないな!!!」という結論に達してしまったのですが、もちろんひとり旅をしていて楽しかったことや感じたことはいろいろとありました。
以下は私が感じた「ひとり旅のメリット」について。
五感が冴える(気がする)
終わりの方では慣れのせいかすっかり鈍ってしまっていたような気がするのですが、ひとりで旅をしていると、誰かと一緒に旅をするよりも感覚が冴えるように感じました。
誰かと一緒に旅をしていると、どうしてもその人とのコミュニケーションに労力を割かれます。
相手がどんなに仲のいい人でも、相手のことをまったく意識の外に追いやって自分の感覚に集中することは不可能です。
ひとりで旅をすることで、誰に気を遣う必要もなく、「自分の五感に訴えかけてくるもの」だけに集中して向き合うことができたような気がします。
あくまでも「気がする」レベルの話で恐縮ですが、「人に気を遣わなくていい」というのはメリットのひとつですね。
「恥のかき捨て」ができる
「旅の恥はかき捨て」とはよく聞くのですが、実際のところ自分以外の誰かと一緒に旅をしていると、なかなか「かき捨て」というわけにはいかないですよね。
だって、私のこと知ってるし、この場所を離れた後でも付き合いは続くし……と考えると、あんまり自由奔放なことはできません。
自分のことを知っている人間が誰もいないところで暮らすということは、それまでの自分のキャラクターや常識みたいなものから逸脱してしまっても見咎められたり笑われたりしないという点で、すごく「自由」を感じられると思います。
(私は常日頃からわりと自由に生きているのでそのあたりの実感は薄かったのですが……)
自分に課せられた役割とか、キャラとか、負荷みたいなものに疲れてしまった時、ひとり旅はそういったものから「とりあえずいったん、降りる」ということができます。
たとえば、ふっと思い立った時に近場で1泊するだけなどでも、ちょっと非日常を味わえて充分リフレッシュすることができそうです。
もちろん法に触れるような悪いことはしちゃだめですが、日々の生活で「やるべき」とか「こうしなきゃ」とかで押し潰されそうな時、そういったものからの「逃げ場」として、ひとり旅は有効な手段のひとつではないかなぁと感じました。
また、普段だったら気恥ずかしくてできないようなことも(ごはん屋さんの会計時に「美味しかったです」と一言添えるとか……)、ひとり旅の間はサラッと気兼ねなくできていました。
日頃感じているさまざまな精神的な抑圧から解放されるという意味では、やはり旅は最高のツールになると思います。
根無し草体験ができる
生活するうえで必要なものをバックパックひとつにつめて常にそれを背負って歩いていると、「このバックパックと、あとはひとりで寝られるだけのテントと寝袋など(もしくは車)があれば、最悪、家がなくなっても大丈夫かもしれない」と思うこともありました。
バックパックに詰めていたのは、服・身の回りの衛生用品や生活雑貨・タブレットPCやその周辺機器など、ほんのわずかなものばかりでしたが、ホテル泊するだけならそれでもまったく問題はありませんでした。
自分にとって大事なものがなにかを究極まで絞り込んで、必要に応じてその中身をアップデートしながら生活するのは楽しかったです。
まさにミニマリスト体験ができ、いろいろと勉強になりました(せっけんの類はマジックソープで一本化できるな、とか)
家があるというのはそれはもう素晴らしいことで、ホテル泊などするよりよほど安あがりに生活することができます。
でも、最悪それがなくなっても、例えば家の規模が今の半分になったとしても、「生活するだけ」なら何とかなるものだなぁという漠然とした感覚は、妙な安心につながりました。
で、やはりそういう生活をするうえでネックになってくるのは「電気」の問題だなぁというのも痛感。
電気がないと(あとネットがないと)、現代日本ではできることが1/10ぐらいになってしまうような気がします。
根無し草的生活をするには、オフグリッドが重要課題のようです。
他にも社交的な人だったら「色々な人と出会える」とか、その土地の歴史や文化に興味がある人なら「好きなだけ観光地巡りができる」とか、ひとり旅のメリットは本当に様々です。
ひとり旅と、誰かと一緒の旅とでは、味わえる感覚やできる体験に大きな違いがあります。
これからはとにかく「自由」を感じたい、ひとりになっていろんなストレスをリセットしたいという時には、近場でもいいから旅をしてみたいと思います。