「身近な人の愚痴」を聞かされ続けてストレスがたまっている人へ

 

今日の記事は少し今までと毛色を変えて、気持ちの話、最近考えたことの話をしたいと思います。

 

数年前のことになりますが、まだ実家に住みながらパートで働いていた頃、私は周りの人に「愚痴を聞かされる」という場面が多くありました。

相手は母親、当時遠距離恋愛中だった同居人、パートの先輩、SNSでつながった友人など。

 

タイミングが悪ければ毎日のように他人の愚痴を聞き続けて、もっと悪ければ、

職場で先輩の愚痴を聞く→家に帰って母親の愚痴を聞く→自分の部屋に帰って遠恋中の彼氏(現同居人)の愚痴をLINE通話で聞く

というトリプルコンボをくらった日もありました。

内容は仕事のこと、上司のこと、家族のことなどが主でした。
さすがにトリプルコンボをくらった日は私も疲れ果てて誰かに愚痴りたい気分でした(できる相手がいなかったのでできませんでしたが……寂)

 

パートを辞め、実家を離れて同居人と暮らしはじめてからはそういった愚痴を聞く回数も減って、快適に暮らせていますが、当時は本当につらかったです。

みんなからはひたすら愚痴という名のマイナスの感情を一方的に浴びせられるのに、自分にはそれを受け渡す相手がどこにもいないという孤独感がありました。

相談できる相手はwebの検索ぐらいでしたが、それでヒットしたページにだいぶ救われたりもしました。
当時よく「彼氏 愚痴 つらい」や「親 愚痴 聞きたくない」でググって、出てきたページに共感して癒されていました。

 

当時のことを思い出しながら「愚痴を聞かされまくって疲れてる人へのささやかな応援」として、傾向と対策をまとめておきたいと考えています。
もし似たような体験でどうしようもなく悩んでいる人がいたら、一助になれば幸いです。

 

 

愚痴を言ってくる人に対して「やってはいけないこと」

 

まずは、やってはいけないことから。

 

 

やってはいけないことその① 対策案を考えてあげる

 

断言しますが、愚痴を言ってくる人に対して、その愚痴の内容を自分なりに分析して対策を考案するという手段は、ほぼ100%無意味です。

私はこれに気付くのにエネルギーと時間を要しすぎ、無駄に疲れることになりました。

 

相手のことを思って「こうしたらいいんじゃないの、ああしたらいいんじゃないの」とつい考えて・言ってしまいがちですが、こと「愚痴」に関して言えば、愚痴ってくる相手はこっちの意見なんかに耳を傾けようとはしません。

なぜなら、相手はとにかく今自分の持っている不満を誰かに打ち明けたいだけで、その状況を改善しようなんて少しも考えていないからです。

厳しい言い方をしてしまいましたが、愚痴ってくる人もその人はその人で色々な対策を講じ、その人なりの考えをめぐらせています。
その上でどうしようもなく前にも後ろにも進めないから「愚痴」というかたちで発散しているのです。

愚痴ってくる人は「当事者である自分が考えて思いつかなかったことをちょっと話を聞いただけの他人に解決できるわけがない」とでも思っているので、他人の意見には耳を傾けません。
本当に他人の意見を聞き入れて取り入れたいという意思があるなら、その会話の内容は「愚痴」ではなく「相談」というかたちになるかと思われます。

これは「相談」ではなくただの「愚痴」だな、と判断できたら、即座にこちらも思考停止しましょう。考えるだけ無駄です。お互い疲れるだけです。

 

また、愚痴の特徴としては、「同じ主旨の内容を短いスパンで話してくる」というものがあります。
この話こないだも聞いたな、この人同じこと何回も言ってるな、というやつです。

「またこの話か……」と思ったら、即座に思考停止しましょう。
こちらもそうバリエーションに富んだ返答をできるものでもないので、同じことを繰り返し考え・伝えなければいけないという点で無駄です。

 

 

やってはいけないことその② 相手の気持ちに立って考える

 

愚痴を言ってくる相手の立場に立って、同情したり一緒に嘆いてあげたり、一喜一憂できるあなたは、この上なく優しい人です。
本当に優しい人だと思います。

ですが、相手に同調すればするほど、こちらも疲労します。

相手の愚痴が「上司にこんな風に怒られた」というものだったら自分もそのように叱責を受けたように錯覚しますし、「彼氏からこんなひどい仕打ちを受けた」というものだったら、同様の不当な扱いを受けたと感じてしまうでしょう。

でも、実際には自分にはなんの落ち度もないし、ひどい仕打ちを追体験させられなければいけない理由もありません。
疲れるだけです。愚痴を聞いている間は一切の心を閉ざしましょう。

 

もちろん状況にもよります。愚痴を言ってくる人がひとりだけで、そしてたまに会った時にちょっと愚痴聞きしてあげるくらいだったら、そこまでダメージを負うこともありません。
負っても一晩寝たら回復する程度だと思うかもしれません。

でもそれが2人、3人と増えていき、愚痴聞きのスパンも短く、内容も濃いものになっていったらどうでしょうか。

その人数分×悩みの深刻度、という重みがあなたひとりにのしかかってきます。
まともに悩んでいてはあっという間に潰れてしまうでしょう。

 

「これはあくまでもあの人の悩みであって、自分の悩みではない」、という気持ちを強く持って、愚痴の内容に同調しすぎないということが大事なポイントになってきます。

愚痴を言ってくる相手は、自分以外にあなたに愚痴をこぼしている人がいるとは想定していません(あなたが表明しない限り)

いたとしてもそれは自分の悩みよりいくらか軽く、ライトな相談だろう、とすら思っています。
愚痴を言ってくる人は基本的に自分のことしか見えていないので、そういう発想の人が多いです。

 

そして、あなたにはあなたで悩みも、それなりにつらいこともあります。自分で抱えるのは自分のことだけで充分です。
愚痴の内容は話半分どころか話2%で聞くぐらいにとどめましょう。

 

 

やってはいけないことその③ 他人に口外する

 

他人に愚痴られたことを、また別の人に愚痴として吐き出すという方法ですね。

これは相手にもよるかと思われますが、あまりおススメはできません。
理由は言うまでもなく、あなたも「愚痴っぽくて嫌な人だ」と思われるリスクをはらんでいるためです。

他人の愚痴が原因で自分も愚痴っぽくなって嫌な人になってしまうなんてとばっちりもいいところです。

 

どうしてもはけ口がないと潰れてしまいそうだという時は、Yahoo知恵袋などのネット上の相談サイトなどを利用するといいと思います。

ネットはいろんな人がいるのでいろんなことを言われるかもしれませんが、「なんでもいいからとにかく吐き出したい!」という時は自分の気持ちを書くだけでも、少しは気が楽になるかもしれません。

誰にも見られない日記やSNSの鍵付きアカウントを作るなども有効です。
ただその場合は、あまり長いこと手元に置いておかず定期的に削除していくことをおすすめします(後々見返すと猛烈に恥ずかしくなったりするので……このあたりはお好みで)

 

 

他人の愚痴を聞き続けて疲れた人が、やった方がいいこと

 

ではどうしたらいいのか、というところの、私なりの考えも書いておきたいと思います。

 

 

やった方がいいことその① 拒否する

 

やった方がいいと言いつつ、一番ハードルの高い案を持ってきてしまいました。
ハードルが高いだけあり、最も有効な手段です。

「私はもうこれ以上あなたの愚痴に付き合う余裕も余力もない」ということを、直接的にorやんわりと伝える。
最終的にはこれが一番効きます。

 

愚痴を言ってくる相手は、たいていの場合、自分のしたことであなたがそんなにも傷ついているなんて思ってもいません。
自分はあくまでも被害者で、自分の行動(愚痴)が他の誰かの負担になっているなんて、思いもしていないのです。

中には愚痴にさえもエンターテイメント性をもたせて、聞く方が負担に感じないような、ある種のユーモアを含ませながら愚痴ってくる人もいます。
ですがそんな人は私の体感ではごく少数で、たいがいの愚痴は聞いてる方の気分を害するものです。

 

いやなことをされたら素直に「いやだ」と表明することが、最短かつ最小のダメージでその場を切り抜けられる手段のひとつです。
相手に「自分の行動が人を傷つけている」という意識がなければ、それで自覚を促すこともできます。

消化不良っぽい、いやな顔をされるかもしれません。「あなたは冷たい人だ」と言われるかもしれません。

ですが、あなたはいつでもなんでも好きなことを吐き捨てていいゴミ箱ではありません。
あなたをはけ口扱いすることをやめない人が、あなたにとって本当に大事な人と言えるでしょうか。

そして、そうしたからといって、決してあなたは冷たい人ではありません。
あなたは他人の無意識の悪意によって、一方的に傷つけられている被害者です。

不当な扱いに対して声をあげる権利は、誰にでもにあります。

 

 

やった方がいいことその② 距離をとる

 

そうはいっても相手を拒絶するのもかわいそう、という優しい人向けです。
また、拒絶することによって敵意の矛先がこちらに向くこともあり得ます。そういう過激な人にはやんわりとした対処をとった方が賢明です。

 

愚痴を言ってくる人とは積極的に距離をとりましょう。

時間が解決してくれることは思っている以上に多いです。

仕事の悩みは転職や異動であっさりと解決したりします。
人間関係の悩みについても、相手もそう気の長い人でないとしたら、しばらく取り合わないうちになんらかの変化が起こっていることは充分ありえます。

せめてその時まで、しばらく距離を置くというのも有効な手段の一つです。

 

「自分に余裕があるときだけ愚痴に付き合ってあげる」とか、瞬間的でもいいのでなにか「愚痴聞きをかわせる口実」みたいなものがあるといいですね。
嘘も方便です。

  • 愚痴聞きのアポイントの気配を察知したら、「今月は仕事が忙しくて……来月なら付き合えるよ!」と言う
    (たいていの場合、時間をおけばその人の怒りや悲しみは薄れてます)
  • 愚痴が堂々巡りに入って長引きそうな時は、ある程度のところで見切りをつけて切り上げる、話題を変える
  • 愚痴っぽい人とは会う回数を減らしたり、会う時間を短くする。もしくは、一対一で会わない

 

またここでの距離とは物理的なものだけではなく、心理的な距離をおくことでもいくらか負担は軽減されます。

  • LINE通話での愚痴に相槌をうつフリをしつつ、ネットサーフィンや漫画を眺めるなど別のことをする
  • 表情はいかにも真剣に聞き入っている風を装いながら、まったく別の考え事をする

これぐらいのことは許されます。なにせ相手はこちらの意見なんて聞く耳持ってません。どんどん聞き流しましょう。
重要なのは、あまり真剣に取り合わないこと、相手と心理的な距離を置くことです。

それで「この人に話しても真剣に聞いてくれないから話しても無駄だ」とでも思われればしめたものです。
相手がまともな会話をしてくれる気になれば、再びまともに向き合ってあげればいいだけの話なのです。

 

 

やった方がいいことその③ とにかく同意

 

愚痴に対して自分の主義主張を押し付け・押し通そうとすることほど、無謀なことはありません。
私はこれに気付くのに長い長い時間を要しました。

愚痴に対してまっとうに闘って、お互い疲れ果てることだけは避けていきたいですよね。

 

やってはいけないこと①で書いたように、相手は基本的に改善策を求めていません。
ただ自分の言うことを聞いてほしい、あわよくば共感してほしい、くらいの気持ちで愚痴ってきています。反論は1ミリも求めていないのです。

一般的には主に「女の人にそのような傾向がある」ように言われがちですが、私の体感からいわせてもらうと、女性も男性も大差はないです。
差があるとしたらその人の性格による誤差程度の差です。

 

こういう相手に自分の考えを押し付けたところで、無意味です。

「自分の考え」「自分ならこうする」ということはしっかりと頭の中で考えつつも、口から出す言葉は「うんうん」「そうだね」「○○は大変だね」これらのあたりさわりのない共感の言葉に限定しておくのがベストです。

多少上っ面でも構いません。なんなら上っ面全開ぐらいにしておいたほうが、相手も「暖簾に腕押し感」を察知して、いくらかクールダウンしてくれるかもしれません。

 

 

最後に、これらの行動はすべて「愚痴を言ってくる人」と「あなた」との良好な関係のためにあるべきだと考えています。

本来愚痴や悩みなどは、近所のお寺にでも行ってお坊さんに聞いてもらった方がよほど的確で建設的なアドバイスを貰えるし、周囲に負担もかけません。
我々は人生に達観したお坊さんではないので、愚痴聞きでストレスが溜まるのはごくあたりまえのことです。

 

愚痴聞きでこちらが参ってしまっては良好な関係は保たれません。
相手が「このままではだめだ」と自覚してくれれば話が早いのでその自覚を促しつつ、自分のダメージは最小に抑えましょう。

なにを差し置いても、一番気遣われるべきは愚痴を聞かされている「自分」です。

嫌になったら、拒否しましょう。
拒否が無理なら逃げましょう。
こっちが必死で逃げているのを追いかけてくるような人は、スパッと見捨てましょう。

誰かに愚痴らなきゃやってられない人を「かわいそう」と思うなら、そんな人にサンドバッグにされている自分のことも、少しは「かわいそう」と思って労わってあげてもいいと思います。

 

どうにか、共倒れだけは避けましょう。
相手は愚痴るだけ愚痴ってぴんぴんしているのに自分はグッタリ、なんてのはもってのほかです。
自分を大事にしましょう。

以上です。

 

 

 

 

追記:「愚痴を聞いてくれない=優しくない問題」について

 

この記事が検索でわりと伸びているので、ちょこっと追記したいと思います。

愚痴聞きが日課になっている人の悩みの一つとして、「愚痴を聞いてあげない」=「自分は冷たい、優しくない人なのではないか」と考えてしまうという問題があると思います。

私もそのように悩んだことがあるので、個人的な考えをまとめておきたいと思います。

 

「愚痴を聞いてあげる」=「優しい」は、確かに真理なのかもしれないです。

傷ついている人によりそって、ひたすら許容してあげる優しさも、コミュニケーションの手段のひとつとしては有効である、とは思います。

でも、仮にそうだったとしても、「その優しさは、自分の人生において、本当に必要なものか?」を考えた時、必ずしもそうとは限らないと思います。

 

愚痴を吐き出したいと思っている人は、愚痴を聞いてくれる人のことを、「この人は優しい人だから」と思って近づいてきます。

優しい人だから、愚痴を聞いてくれるだろう。
冷たいことを言って、突き放したりしないだろう。
自分の主張を受け入れてくれて、同意して、認めてくれるだろう。

そう思えなければ、そう簡単に他人に愚痴なんてこぼせませんよね。
人が弱っているところに追い打ちをかけるようにお説教をかましてくるような人には、誰も好きこのんで愚痴なんて言う気がしないと思います。笑

 

でも、そこで(やんわり伝えるにしろ、きっぱり拒絶するにしろ、)「愚痴聞きを拒否する」というアクションをとると、愚痴を言いたくて仕方ない人にとっては「ああ、この人は優しくない人だ」という評価に代わるのだと思います。

私も「冷たい人だと思われたくない」「失望されたくない」という理由で、愚痴聞きをかわせずストレスを溜めていた時期がありました。

でもこれ、考えてみたら、すごく身勝手なことだと思いませんか。

 

愚痴を吐き出したい人にとっての「優しい」って、極論を言ってしまえば、「他人の愚痴を、どんな時でも、気がすむまで、正論や一般論や個人的な意見を挟むことなく、ひたすら親身に頷きながら聞いてくれて、何回も何回も何回も同じ話をされても絶対に怒らない、菩薩みたいな人」なんですよね。

これらの条件のうちたぶんひとつでも欠けると、まるで期待を裏切られたように感じられて、即座に「優しくない人認定」されてしまうと思います。

 

もちろんすごく極端な例ではありますし、それができる人は確かにすごく優しい人のかもしれないけど、この地球に生きている人間で、そんなことを完璧にこなせる人が何人いるでしょうか。

そんな天使みたいな役割を押し付けられるのって、それは、もはや暴力を受けているのに近い、とは思いませんか。

(まあ、相談料でもくれるのなら話は別ですけど。笑)

 

仮に、そうやって天使のような優しさをもって愚痴を聞いてあげて、その人を満たしてあげて、「この人は愚痴を聞いてくれる、私の気持ちを理解して、優しくしてくれる人だ」と認識されて、好かれたり懐かれたりしたとします。
では、その次に起こることは、どういうことでしょうか。

想像に容易いですね。「次の愚痴も同じように優しく聞いてあげなければいけない」⇒「そして、その次も……」のループです。
自分か相手のどちらかが、どこかで断ち切らない限り、愚痴聞きは延々と続く可能性があります。

 

自分は本当にそういう人物像を理想としていて、そのような優しさを提供しながら他人と付き合っていきたいと思っているか?

自分にそれを求めてくる人の要求に永遠に応え続けることが、自分や、その人自身や、その人の周りのためになるのか?

その人はそんなにも自分にとって大事な人なのか?そこまでしなければいけない義理でもあるのか?

仮にその人に返しようもない大恩があったとして、だからってなにをされてもいいのか?

 

当然のことながら、人それぞれ事情は異なります。

それまでのキャラクターや役割を変えてしまうことで、他人には「冷たい」と思われてしまうかもしれません。
それによって一時は苦しい思いをするかもしれません。

でも、その優しさは、結果的に自分を追い詰めるものになっていないかということは、どこかのタイミングでしっかり見つめておいた方がいいように思います。

 

私の結論としては、「その人に優しくすることと、その人との関係を良好に保つことは、まったくの別物だ」と思うようにしています。

無理をしてまで人に優しくしないこと、それよりもまずは自分の気持ちを大事にすることで、他人との関係を健全な形で長続きさせることができると考えています。

 

そもそも他人の悩みなんて、「優しさ」だけでなにもかも解決できるようなものでもないです。
本人がなんとかしないと、もしくは環境が変わらないと、なんの根本的解決にもならないことばかりです。

でも、その人のためにどこまで優しくできるかは、100パーセント「自分が決めていいこと」です。

「ここから先は無理だ」と思ったら、上に書いた「やった方がいいこと」のような、なんらかの対策を打ってしまってもいいのだと思います。

 

 

 

 

追加記事:

 

「愚痴を言ってくる人の心理」についての想像(質問箱へのお返事)

 

 

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

 

 

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